VISUAL BULLETS −今日のアメコミ−

STILL TALKIN' ABOUT COMICS

『HOUSE OF M』 (Marvel, 2005)

 人は誰しも夢を持つ。
 夢という言葉が尊大に聞こえるなら妄想と呼んでも良い。「なりたい自分」がない者でさえ、「今とは違う自分になりたい」と思うことがあるだろう。
 人は目標としてであれ逃避としてであれ常に理想を心の中に抱えている。だが不思議な事に、その理想へ手が届いた瞬間、人はまた別の理想を抱えてしまう。
 よくよく考えれば恐ろしいことだ。
 まして、その理想が自ら手を伸ばしたものでなく、他人から与えられたものだとしたら。
『HOUSE OF M』 — それはお菓子の家。
 中では魔女が竈を火にかけて待っている。


原書合本版(Amazon): House of M


 ミュータントでありAvengersの一員でもあったScarlet Witchがその現実改変能力の暴走により仲間を殺害した『AVENGERS: DISASSEMBLED』事件から半年。Professor Xによる精神治療の効果も空しく、彼女は再び力の制御を失いつつあった。Professor Xは新旧AvengersとX-Menの面々を集めて対策を協議するも議論は平行線を辿り、彼らはひとまず直接本人にあってその意思を確かめようとする。だが、辿り着いたGenoshaに彼女の姿はなかった。直後、謎の光に包まれたヒーロー達。気が付くと、彼らは別の世界にいた。自分たちの思い描いてきた理想が全て現実となった世界に。

 前回の『SECRET INVASION』から遡るような形になってしまったけれど、どうせいつかは本作も取り扱おうと思っていたので。
 ライターは『SW』と同じくMichael Brian Bendis、アートはインテリアのペンシルにOliver Coipel、カラーがFrank D’armata。Coipelによる丸みを帯びたキャラクター造形はアクションに適度な重量感をもたらすので好きです。あと、女性陣が可愛くなります。

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 ああ、いい時代だったなあ。
 懐古主義を気取るつもりはないものの、牡丹と薔薇化した今のMarvelユニバースと比べれば見てる時の安心感に雲泥の差がある(うん、このヒーロー達にだったら世界を任せられるね!)。
 とりわけScarlet Witchの処遇に関して感情論に基づいた意見が飛び交う中、「世界にとって脅威である以上、やるべきことをやらなければならない」と現実的な観点から意見を口にするWolverineと、それに抗して「いつでも道はある」と頑なに理想を貫くCaptain Americaの姿は象徴的だ。CapはLoganが誰も直視したがらない事柄を敢えて指摘して憎まれ役に徹していることを、LoganはCapが感情でなく意志の強さに基づいて理想を語っており、それこそが不可能さえ可能にしてきたことを理解し合っているのが窺える。
 他の者達に関しても各々のバックグラウンドを踏まえた意見の相違こそあれど互いに対する敬意は払っているのがよく見て取れる。
 こいつらが何年か後にはぱっくり2つに割れて殺し合うとは誰が想像し得ただろう。

 さて、本作はそんな彼らが理想の詰まった世界から元の世界に帰還すべく奮闘する話なのだが、ここで英語で言うところの”the elephant in the room(あからさますぎて逆に気付くことのできないもの)”がいることにお気づきだろうか。

それは「どうしてこの理想の世界を元に戻さなければならないのか」という論点だ。

 例えば自分のことに置き換えて考えてみて欲しい。
 ある日、目が覚めると大金持ちになっていた。アイドルになっていた。理想のパートナーと一緒になっていた。全く問題がないかと言えば嘘になるが、少なくとも以前の状態よりは遥かにマシだ。
 なら、どうしてそれを全て無に帰したい。
 偽物だから?
 Scarlet Witchの作り出した世界は別に偽物じゃない。ただ元の世界とは異なるだけで、これもちゃんとした現実だ。理想が他者の力で形になったからと言って、自分で叶えた理想と一体何の遜色があろう。
 本作はそんな問いを発しこそすれ、明確な答えを提示していない。
 
 ちょっとだけ続く。


邦訳版(Amazon): X-MEN/アベンジャーズ ハウス・オブ・M