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VISUAL ROCKETS −今日のアメコミ−

STILL TALKIN' ABOUT COMICS

『JUSTICE』 (DC, 2005-07)

 ヒーローの役割とは何だろう。
 弱きを助け、悪を挫くことだろうか?
 罪を裁き、罰を与えることだろうか?
 人々を導き、道を開くことだろうか?
 ヒーローは世界にどんな役目を果たすのだろう?
『JUSTICE』にはその1つの答えが提示されている。


邦訳版(Amazon): ジャスティス Vol.1


 ヒーロー達が世界を守れなくなる — そんな悪夢が現実となるのを阻止するため団結したヴィラン達は、能力や才能を活かして人々を救済し始める一方で、Justice Leagueへ一斉攻撃を仕掛ける。敵の罠に嵌り、1人また1人とピンチに陥る世界の守護者達。だが、これは巨大な陰謀の始まりでしかなかった……。

 この作品はDCユニバースの入門編であると同時に、スーパーヒーローというジャンルの総括と呼ぶべきものだ。この界隈について右も左も分からない人に1冊だけ渡すとすれば、私は間違いなく本作を選ぶ。
 単純なアクション・スペクタクルとして楽しむことができるのは勿論のこと、一方でDCユニバースを長らく楽しんできたファンが各ヒーロー・ヴィランの根幹にある魅力を再確認することもできるようになっている。


原書版(Amazon): Justice

 合本(#5)の表紙を見てみよう。真ん中で分断されたページの左にSupermanを筆頭としたヒーロー達が、右にBraniac率いるヴィラン達が合わせ鏡の如く顔を連ねている。この構図が両陣営の関係性を実によく表している。
 本作は現代の”SUPER FRIENDS”と呼ばれることからも分かるように最初から最後まで善と悪の総力戦であり、両者の間に引かれた線は実にはっきりとしている(これはストーリーのみならずAlex RossとDoug Braithwaiteによる構図や陰影の使い分けによる効果も大きい)。

 しかし、だ。善悪という軸を取り除いて見直してみると、意外と双方には共通点が多いことに気付かされる。
 そもそも本作でヴィラン達が一致団結したこと自体、救われることに慣れてしまった人類が弱体化してしまうのではないかという危惧や、強大な力を持つヒーロー達がどうして犯罪にばかり目を向けて環境問題などへ対処しようとしないのかという疑念に端を発しており、それは一見すると正当な主張のように思える。
 Lex LuthorはSupermanのような異星人の存在が人類のポテンシャルを著しく損なうおそれがあるとして彼らを危険視する。Poison Ivyが人間に向ける憎しみは彼女が植物に向ける愛情の裏返しだ。Captain Coldにしたところで、巨大なオアシスを作り出して人々を砂漠化の脅威から救済したのだ。見返りが欲しいと思うのは人間として理解できなくもない。彼らが悪人で、この救済行為も陰謀の一部なのだと読者目線で知っていなければ、FlashがColdを殴り倒すシーンは理不尽にも取れるかもしれない。

 では、両者の間に引かれた線は一体何なのか。ひいては特殊な能力で環境問題など現実的な問題に対処するのは果たしていけないことなのか。
 これは他者から与えられた理想の何がまずいのかという前回の記事で挙げた問題にも関わってくる。

visualbullets.hatenablog.jp

 本作においてヴィラン達は病を根治し、飢えた者達へ食糧をもたらし、人々を理想都市に招いた。そうして今までノブレス・オブリージュを果たそうとしなかったヒーロー達の怠慢を叱責し、彼らを偽善者として糾弾した。
 だが、ヒーロー達がこうした方法で人類の営みに介入しないのには理由がある。
 人は常に理想を持つ生き物だ。1つの理想が実現してもすぐにまた次の理想を抱える。1つ夢を叶えたからと言ってそれで終わることはない。充足感はすぐに引き、再び新たな渇きが押し寄せる。
 そして、ここに他者が理想を実現することの問題が生ずる。
 理想には終わりがない。だが一方で与える側の力には限界がある。この限界がいつか来てしまった時に、果たして他者に頼ることへ慣れきってしまった人は自分の足で前へ進めるだろうか。
 LuthorはSupermanのような存在が人類を弱体化させると説くが、実は自分達の行いこそが人類から歩く力を奪っているのだ。


邦訳版: ジャスティス Vol.2

 超人達の多くはその力を偶然や悲劇で手に入れた。そして、それらの力は全ての人間が手に入れられるわけではない。その点において、彼らの能力はジョブスやイチローの才能と根本的に異なる。
 ヒーロー達はこのことを承知しているからこそ、社会のセーフティネットとして以上の働きをすることへ慎重にならざるを得ない(これを承知の上で敢えて動いたのがWarren Ellisの『AUTHORITY』だ)。
 確かに自分達が環境問題や社会問題に介入すれば、短期的には人類の生活水準は向上するだろう。しかし、10年、100年、1000年というスパンで見た時、そうした方法による問題解決の前例を作ることは果たして人類を益すだろうか。

 本作に出てくる人物達を見て欲しい。仮に自分がごっこ遊びをするとしたら、どちら側の人物になりたいだろう。
 何かといがみ合い、常に互いへ睨みを利かせるヴィラン達か。
 否、勇敢で高潔なヒーロー達になりたいのではないだろうか。
 つまりはそれが結論だ。
 スーパーヒーローが奮闘するのは単に自らの技能をひけらかしたいがためではない。その自己犠牲的行為を通して、人々にあるべき心のありようをインスパイアするためにこそ、彼らは日夜身を粉にして戦っている。

 そう、スーパーヒーローとはインスピレーションなのだ。
 そして彼らの活躍はページの境界を超えて、現実の我々をもインスパイアしている。


本作のアートがお気に召せばRossの線画集なんてのもどうぞ: Rough Justice: The DC Comics Sketches of Alex Ross (Pantheon Graphic Novels)