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VISUAL ROCKETS −今日のアメコミ−

STILL TALKIN' ABOUT COMICS

『SWEET TOOTH VOL.1: OUT OF THE DEEP WOODS』 (DC/Vertigo, 2009-10)

 我々はディストピア物が大好きだ。
 既存の文明が滅び、人と人との繋がりがきれいに取り払われ、己の知恵と力を駆使しなければ生き抜けない世界が。
 今生きている世界を軽蔑しているんじゃないかと思うくらい。


原書合本版(Amazon)(旧版): Sweet Tooth: Out of the Woods

 林の奥深くで生まれ育った、鹿の角を持つ少年Gus — 父親の死を機に生まれて初めて外の世界へ踏み出した彼は、偶然出逢ったJepperdという男と共に自分のような者がたくさん暮らしているという”Preserve(= 保護区)”を目指す。しかし、そんな彼の前に広がるのは謎の疫病により人類の大半が死滅した世界だった……。

 作品論的な話をするなら、形だけ社会を荒廃させるのは簡単だ。
 独裁者の支配下においたり、ゾンビウィルスを拡散させたり。そこまで派手なことをしなくとも、今自由に行われている何か1つでも制限してしまえば体裁は整う。特定のお菓子を禁止にするディストピア物もあったか。

 人は得ることよりも失うことに敏感だ。
 いつでも買えると思って買わずにいた商品がいつの間にか店頭から消えていて悔しい思いをしたことがある者は多いだろう。それまで大して欲しいと思っていなかったから看過していたにも関わらず、いざ手に入らないと分かると途端に惹かれ始める。そうして再びその商品が店頭に現れた時、我々は今度は逃すまいと衝動的に買ってしまう。それはほとんど生物本能的欲求に近く、並大抵の意志力で抗えるものではない。

 ディストピア物というのはこういった心理を巧みに利用しており、今湯水の如く使っている電気や水といった物的価値、あるいは恋愛や経済活動といった精神的価値を取り除くことで一種の極限状態を作り出すことで通常想定し得ないシーンを作り出す。
 もっと言うならキャラクターを起たせるシーンを作りたい場合、そのキャラクターにページの外の常識を当てはめてやれば良い。制限された世界で皆が妥協を強いられる中、1人だけ読者に寄り添った選択をすることは特徴的な強さであるし、何より読者が共感(あるいは羨望)できる強さだ。大勢に反することの意外性もある。終いにそれが人を救う行為であれば救済する側と救済される側で友情なり義理なりといった人間関係のダイナミズムさえ生まれる。

 この通り、ディストピアで奮闘する人を描いた話を作るのは案外容易だ(転生物なんかもほとんどこれと同じ手法で作られている)(ここから一歩突っ込んだディストピアだと伊藤計劃の『ハーモニー』やProduction I.Gの『PSYCHO-PASS』みたいに「必ずしも悪いことばかりじゃない」面も示唆されるのだけれど、その辺りは長くなるのでまた今度)。
 本作も形だけ見るならそういった有象無象と比べてさして秀でた要素はない。ウイルスで荒廃した社会に生まれたミュータントの話などそこらに吐いて捨てるほどある。

 しかし、本作の中には他で類を見ない独特のアトモスフィアが広がっている。それは登場人物から一歩退いた位置から眺めるようなドライさであり、緊迫した展開もどこか落ち着いて見える(良い意味での)味気なさである。
 このキャラクターと読者の間にある隔絶感が、通常のディストピア物にある飢餓とは異なる渇きをもたらす。
 本作の空気を肌で感じ取りたいのであれば、一気読みではなく少しずつ読んでいくことをお勧めしたい。


原書合本版(Amazon)(本巻含む新装版): Sweet Tooth The Deluxe Edition Book One