VISUAL BULLETS −今日のアメコミ−

STILL TALKIN' ABOUT COMICS

『INHUMANS』(Marvel, 1998-99)

 自慢のような話から始めるのは何とも恐縮だが、アメコミを読んでいるおかげか私には学校の英語でそれほど苦労した覚えがない。
 だからと言うべきか、とある事情で市内のインターナショナルスクールに足を運んだ時にかなりの劣等感を味わった記憶がある。何しろ周囲にいる奴は皆、自分と同等かそれ以上に英語が達者な者ばかりだ。得意気に伸ばしていた鼻っぱしを根本からへし折られたような気がした。
 それからはふとしたことで「自分から英語を取ったら何が残るのだろう」と考えるようになった。
 現在に至るまで、はっきりとした答えが出せたことはない。


分冊キンドル版(Amazon): Inhumans (1998-1999) #1 (of 12)

 太古の昔、地球人の特異な遺伝子に注目した異星Kreeの科学者達は彼らを研究対象として実験を重ねたものの、やがてその潜在的な力に恐れを抱くようになると、志半ばで地球を後にした。やがて取り残された実験体達は他の人類と異なる道を歩むようになり、北大西洋に位置する人里離れた島の上に独自の文明を築き上げた。自らをInhumansと名乗る彼らは語らぬ王Black Bolt率いる王家の保護のもと、長い間平穏に暮らしていたが、謀反人として幽閉されていたBlack Boltの弟Maximus the Madが外の世界の者達と企てた陰謀により、かつてない危機に陥る…。

 はい、今回ご紹介するのは、今何かと話題のInhumansな皆さん。
 先に紹介した『PUNISHER』や『DAREDEVIL』などと共に経営破綻したMarvelをどん底から引っ張り上げた”MARVEL KNIGHTS”レーベル作品の1つで、今なお名作として語り継がれている本作だが、一般的なスーパーヒーロー作品とはかなり趣が異なる異色作とも言えるかと。

 えーと、私は最近のMarvelをほとんど読んでないのでInhumansの事情にそこまで詳しくはないものの、まずその数少ないシリーズの中に『KARNAK』が含まれていた身としてはかなりしっくりくると言うか、違和感なかったと言うか。まあ、その辺はもう少しして『KARNAK』の記事書きますんで今はそんなとこで。

 それで、だ。巷で噂のInhumansとMutantを巡る陰謀に関して。どの会社の誰が悪いとか駄目だとか色々言われているけれど、その真偽についてここで議論するつもりはない。
 ただ、いかなる理由にせよ本作を読むと確かに両種族の間には共通点らしきものを見出すことが出来るということについて今回は話そうと思う。


分冊キンドル版(Amazon): Inhumans (1998-1999) #2 (of 12)

 まずInhumansという種に関してもう少し解説すると、彼らの多くはTerrigen Mistと呼ばれる特殊な霧を浴びて(正式な通過儀礼としては’Terrigenesis’と呼ぶ)人為的に突然変異を引き起こすことで固有の特殊能力を得る。この霧が少々厄介な代物で、浴びた者に特殊能力を授ける一方、その容姿にも大きな変化をもたらす。Black Boltやその妻Medusaのようにほとんど変わらぬ者もいるが、大概は脚がヤギのようになったり肌が岩のようになったりと、外の世界では間違いなく怪物扱いされる姿に変わってしまう。

 そう、「外の世界では」。

 Inhumansと外の世界の大きな違いは、彼らの暮らす都市Attilanではむしろこういった奇形は能力と共に個性の一部と見做されて歓迎される傾向があるということだ。ここでは肌がひび割れ翼が生えた者が誇らしげに胸を張り、手の形が少し変化しただけの者が恥じ入る。
 Inhumansにとって重要なのは「何ができるか」であり、「どう見えるか」は二の次なのだ。故にTerrigenesisの結果、社会に大した貢献を望めない能力者は寂れた地域へ追い遣られてしまうし、Alpha Primitiveと呼ばれる奴隷階級の肉体を得てしまった少年は地下で生涯重労働をする一生を定められてしまう。

 さて、こうした容姿や能力に関した社会的アプローチを踏まえると、MarvelユニバースにおいてMutantsを取り巻く環境に対する1つの発展型としてのInhumans社会というものが見えてくる。
 現在、Mutantsは少数派であるが故に人間が多数派を占める社会でその能力は危険視され、その容姿は醜悪と見做される。
 しかし、人口構成が逆転すればどうだろう?Mutantsが多数派で人間が少数派、あるいは皆無である世界を想像してみて欲しい。もっと現実に還元するなら、誰一人として同じ肌の色を持たない社会や誰もが他と異なる特殊な性的嗜好を持つ社会でも構わない。
 肌に鱗が生えてる生えてないはつむじの位置ほどの差しかもたらさず、恋に落ちた相手が愛という概念を持ち得ているかも定かでない世界において重要となってくるのはみてくれなんかじゃない。
 他者との関わり方だ。
 自分が相手のために何が出来るかというその1点に各々の社会的価値は集約される。
 朱に交われば赤くなるというが、朱や青や黃が混在する共同体ではどの1色も融け合うことなく’モザイク’が1つの色を形成する。
 これがInhumansの社会だ。


分冊キンドル版(Amazon): Inhumans (1998-1999) #10 (of 12)

 ならば、InhumansとはMutantsにとって輝かしい未来の姿なのだろうか。
 おそらく彼なら否と答えるだろう — Charles Xavierなら。
 とどのつまりInhumansの社会とは能力者が多数派であるが故に実現したものであり、もっと言えばここは能力主義の社会である。
 Xavierが目指しているのは自分を含むMutantsが人間と分け隔てなく暮らすことの出来る社会であり、どちらが多数派であるかに関わらず両種が共存できる社会だ。彼が欲するのは特技や能力などで他者をプラグマティックに規定する物差しではなく、どんな相手とでも手を取り合うことの出来る寛容な精神である。
 
 ”特別な人間”ばかりを集めると誰も”特別な人間”ではなくなる。
 能力は個人が他者と関わる有効なツールになり得るものの、何もそれだけが手段じゃない。
 友人に肩を貸したり、恋人の傍に寄り添ったり、自分に害をなした相手を赦したり — そういったことが評価される社会こそCharles Xavierの理想の世界であり、ページの外の我々もまた目指す世界ではないだろうか。
 現在、この話題に関するコメント欄や掲示板などではInhumansに向けた見るに堪えない罵詈雑言が多数見受けられるが、それはMarvelユニバース内でMutantsが向けられる差別と根が近いところにあるのではないだろうか。そう思わなくもない。


原書合本版(Amazon): Inhumans by Paul Jenkins & Jae Lee