VISUAL ROCKETS −今日のアメコミ−

STILL TALKIN' ABOUT COMICS

TRANSMETROPOLITAN VOL.6: GOUGE AWAY (DC/Vertigo, 2000)

 文章にしろ映像にしろ音声にしろ。
 何らかの形で情報を伝達する者は皆、自らが伝えているかを常に意識しておく必要がある。


原書合本版(Amazon): Transmetropolitan Vol. 6: Gouge Away (New Edition)

 遂に牙を剥いてきた新大統領Gary Callahanに対し、徹底抗戦の構えを見せる反骨のジャーナリストSpider Jerusalem。大統領の欺瞞を外堀から徐々に埋めていく彼だったが、その頃世間はすっかり人気者となった彼をキャラクターとして弄んでいた……。

 シリーズの転換期。前巻で初めて記事にD-Notice(国家の安全保障上報道すべきでないと判断した新聞記事などに対して政府が通知する報道管制の1つ。英国なんかじゃ今でも実際にあるとか)を出され、大統領から事実上の宣戦布告を受けたSpider。本巻ではそんな「Spider Jerusalem VS. ホワイトハウス」の物語が進むのと同時並行で「Spider Jerusalem VS. 世間」という、シリーズの根幹をなすもう1つの対立構造が鮮明となる。前者が物語的なエンジンだとすれば、後者はテーマ的なエンジン。

 1番最初の合本でSpiderは「見たことを簡潔に中立的に」述べるジャーナリズムを否定し、「見たことを正しく理解して」述べる主観の重要性を強調していたが、そんな彼の手法の欠点は得てして人々が”真実”よりもそれを述べている”人”に関心を寄せてしまうこと。

 以前も述べたかもしれないが、SpiderのジャーナリズムにはSNS時代を先取りしたようなところがある。自分で見たことや体験したことを記す彼の体験型ジャーナリズムはユーチューバーなどのそれにかなり近い。逆を返すと今は誰もがSpider Jerusalemになることができる時代とも言われている。

 Spiderはこのことにかなり自覚的でありかつ否定的。
 本巻でも真実を追求して政治家やインテリ層を喝破する内に民衆のヒーローとして祭り上げられたSpiderが、その人気に目をつけたエンターテイメント界によって利用されてアニメにドラマに、終いにはポルノにまでされてしまう様子が描かれている(これらを描くのにゲストアーティストとしてBryan HitchやFrank Quietlyが参加している)が、これは1人の人間として社会の中に交じって記事を書くゴンゾジャーナリストのSpiderにとって致命的ともいえる事態。伝え手にとって”伝えたいこと”以上に”伝える人”が注目されるのは堪ったものじゃない。実際に本作開始以前の彼はこのことが原因で書けなくなり一度ジャーナリズムから引退している。
 
 キャラクターになるということは「不特定多数にウケる」ということであり、それは万人受けしない尖った部分を取り除いていくのと同義だ。本巻でもエンターテイメントの中でイメージが丸くなってしまったSpiderに対し、通りすがりの市民が馴れ馴れしく話しかけてくる描写が多数見受けられる。物語開始当初のように彼の姿を見かけるだけで体を強張らせて拳を握りしめるものなどほとんどいない。完全に彼を舐め腐っている。

 だが、Spider Jerusalemは断固としてそういったキャラクター像に迎合することを拒否する。そして、これまで以上の過激さで人々のまぶたをひんむき、耳の穴をかっぽじった上で「自分の伝えたいことはこれだ」と”真実”を突きつける。



 彼は確かにSNS的ジャーナリズムを先取りしたようなところがあるものの、自らのキャラクター性を否定し続け”伝えるべき真実”に焦点を当て続けているという点においてはっきりと一線を画している。