VISUAL BULLETS −今日のアメコミ−

STILL TALKIN' ABOUT COMICS

ESSEX COUNTY BOOK THREE: THE COUNTRY NURSE (Top Shelf, 2008)

 アメコミの世界に新風を吹き入れた Jeff Lemire の初期代表作完結編。


シリーズ全てを収録した原書合本版(Amazon): Essex County

  Essex County で訪問介護をする Anne Byrne 。受け持ちの患者と親身に関わり、多くの者から慕われる彼女だが、自身の家庭も完璧とは言い難い。それでも彼女は気丈に振る舞う。そんな彼女が日々を営む現代から、時は遡り1917年。林の奥で孤児院を運営する Margaret Byrne と、そこに住む子供達の中で最年長の Lawrence Lebeuf 。未来に不安を抱く2人から始まる、2つの血筋の因縁とは。

 何故だろう。私達は作品を愛すれば愛するほど、その内部で時間が経過することを恐れる。中でもアニメや漫画ではその固定という贅沢が容易に可能であるということもあり、年月の変遷などあってないに等しい。夜な夜な蝙蝠の衣装に身を包むプレイボーイは永遠の30代だし、その他多くのヒーロー達も歳が40、50に届いている者は少数派だ。日本でも埼玉の5才児はずっと5歳だし、体が小さくなった探偵はリアルタイムなら元に戻れずともとうに高校を卒業しているところを相変わらず小学生している。ネットに平気で「魔法少女は永遠に少女であるべきだ」などと書き込むファンの存在も珍しくない(それはまた別の問題か)。

 こういったことを「少年少女の純粋性」に由来しているという評論家もいるが、そんな幻想を毛ほども信じていない私はこうしたことを(これまたありがちと言えばありがちな主張だが)やはり「死」に起因するものと考えてしまう。
 生きることとは死に近づくことと同義だ。「成長」とは「老化」をメルヘンチックに言い換えた言葉に過ぎない。生を終えることを喩えそれがどのような形であれ苦味としてしか受け取れない人間は何とかその痛みを和らげようと、その予兆を敏感に捉えられるよう感覚器を発達させてきた。あるいは時間という概念さえ、この目的のために編み出されたものなのかもしれない。
 そういう意味で ESSEX COUNTY 三部作の締めを飾る今回の話は、単純に物語の完結編として以上にたくさんの痛みを伴う内容となっている。
 訪問介護士の Anne が定期的に訪ねる者達の中にはこれまでの物語で読者を魅了してきた登場人物達も含まれる。 Lou や Jimmy 、 Ken らは健康とは程遠い体だし、叔父と共に登場する Lester でさえもうかつてのスーパーヒーローの彼じゃない。これまで私達読者がこれらのキャラクターに抱いてきた思いを踏みにじるかのように、 Lemire は今回の話で死か、それに近い喪失を漂わせる。
 
 しかし、彼は今回の話で現代の Anne の話と共に Byrne と Lebeuf という2つの血筋の因縁、その始まりとなる1917年のエピソードを交差させることでこの救いようのない物語に新たな意味付けを行おうと試みる。それまで表面的な関わりしかないと思われていた両家が実はずっとむかしから結びついていたのだという”運命”を加えることで直線だった物語を円環に変えてみせ、安易に時間を固定させることでもたらされる永続性とは別次元の永遠性を獲得してみせた。物語の終盤において、第1章のケープをはためかせる Lester と重なり合うよう描かれた Lawrence の後ろ姿は、その結び目としての象徴といえるだろう。
 
 勘違いしてはならないが、こうすることで痛みが失くなるわけじゃない。だが、喩え何かが終わっても別の何かが生まれ、続いていくということを知ることで、私達はそう、明日も Anne のように強く生きていけるのだ。

  ESSEX COUNTY はコミックの世界に新たな風を吹き込んだ作品として、ずっと語り継がれることになるだろう。


原書合本版(今から買うなら上記合本の方がおすすめ)(Amazon): Essex County Volume 3: The Country Nurse