神の行方を追う男の長い旅が始まる。
テキサスの田舎町で牧師を務めている Jesse Custer は、最早神のことを信じられなくなっていた。そんな彼はある日、教会に飛び込んできた火の玉と衝突した拍子で大きな爆発を引き起こしてしまう。偶然その場を通りかかった元恋人の Tulip 、そして謎の男 Cassidy に救出された彼はやがて、自らの中に世界全体はおろか天界までをも揺るがす存在がいることを知る。
ドラマ化もされている DC は VERTIGO レーベルの名作。禁忌の存在 Genesis を自らの中に取り込んだ牧師と彼の仲間が、天国から逃げ出した神を探す旅に出るというロードムービー的な内容で、アメコミベストランキングをやったらほぼかならず10位以内に食い込んでくる。
クリエイター陣は Garth Ennis と Steve Dillon というこれまでも PUNISHER などで度々コンビを組んでいる2人。
本作についても以前 Ennis が Dillon と JOHN CONSTANTINE: HELL BLAZER で組んでいた時のランで使ったネタを着想元としている。
Ennis と Dillon は業界でも”暴力”というものをきちんと描ける数少ないクリエイター達だ。
つまり彼らは暴力を美化しない。
私達の周りには美化された暴力が溢れかえっている。パンチを放てば相手の顔はボールのように飛び、キックを放てばずしゃっと心地いい音が響く。攻撃する方は勇ましく、倒れる方もだがどこか格好いい。
何もそれはスーパーヒーロー物に限らず、刑事モノにも不良漫画にも、終いにはラブストーリーなんかにもそういったエンターテイメントとして見栄えの良い暴力が溢れかえっている。
しかし、本当の暴力とはそんなキラキラしたものではない。もっとだらしなく、間抜けな行為だ。相手を殴ればこっちも痛くて手がじんじんするし、蹴った時にバランスを崩してこけてしまうようなこともある。
だが多くのエンターテイメントはそんな無様な暴力を見せようとはしない。そこに登場するのは汚物を取り除き、きらびやかに着飾ったまがい物だ。血も飛ばなければ汚れみたいな擦り傷しか付かない日曜朝のヒーロー・ヒロインがどんなに暴力反対を唱えたところでそこに説得力はない。
一見すると血の気が多く、ショッキングな描写が多いような本作だが、改めて考えると別に驚くことはない。ありのままの暴力とはこういうものだ。
攻撃する側も受ける側も平等に痛みを伴うし、傍目からみると汚らしく、どこかコミカル。
逆にだから本作の暴力描写にはそれほど忌避感を抱かないし、作品全体のドライな雰囲気に程よいスパイスとして利いている。
別に全てのエンターテイメントが本作のような暴力を映すべきだとは言わないが、こういった暴力があるのだと知っているのと知らないのとでは大きな差があるということは知っておくべきだろう。
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